SPARC(Scalable Processor Architecture)は、サン・マイクロシステムズが1986年に最初のSPARCプロセッサを製造するために開発したRISC命令セットアーキテクチャで、翌年Sun-4ワークステーションに初めて搭載された。25年にわたる技術革新と数々の「世界初」を受け継ぎ、オラクルは今後も、Oracle Solarisが稼動する画期的なSPARCベースのシステムを設計し、同時実行性の高いWebアプリケーションから複雑なエンタープライズ・アプリケーション、データウェアハウスに至る、あらゆるアプリケーション層で高可用性と比類のないスケーラビリティを提供していく。
1987年のこと、小さなスタートアップ企業であったサン・マイクロシステムズは、独自のマイクロプロセッサSPARCを開発し、SPARCベースの初のコンピュータSun - 4を発売した。時は流れて2012年11月1日、当時のSPARCチームの主要なメンバーがカリフォルニア州のコンピュータ歴史博物館に集結。オラクル・コーポレーションプレジデント、マーク・ハード、システム担当上級副社長ジョン・ファウラーを交え、「SPARC at 25:Past, Present, and Future」と題したイベントが開催された。サンの設立者全員が一堂に会したこのイベントは、SPARCの歴史や設立当初を振り返る貴重な場となり、システム設計の本質的な複雑さや、業界内の競争を乗り越えていく難しさを知る機会にもなった。
1980年代後半にチームが直面した課題が詳細に語られたが、なかでも議論の的となりシリコンバレーの重鎮たちをも驚かせたのは、なぜSPARCだったのか、ということだ。
パネラーとして登壇したサンの共同設立者の1人、ビノッド・コースラ氏は、設立から間もないサンが勝負を展開していくためには、ほかの人の成果を活かせるオープンソース・システムを利用するしかなかったと明かした。
アンディ・ベクトルシャイム氏もサンの共同設立者の1人で、ワークステーションSPARCstationシリーズの開発時にはチーフ・システム・アーキテクトを務めていた。同氏は、リスクがきわめて高いことはチームとして理解していたとしたうえで、「ある程度はリスクを取らなければ、大きな存在には決してなれません」と語った。
同じく共同設立者のスコット・マクネリ氏が会場に寄せたビデオメッセージによると、サンがSPARCを発表したときには、「強豪がひしめくマイクロプロセッサ業界でどう張り合っていけるのだ?」と皆から聞かれたという。しかしその答えは簡単だったと同氏は話す。エンジニアリング向けのワークステーションに必要な浮動小数点演算や科学技術計算の処理能力を備えたプロセッサがなかったからだ。そこでサンは、独自のRISCアーキテクチャを設計することを決め、Scalable Processor Architecture、略してSPARCと名づけた。同氏によると、最初のチップが完成したとき、これはヒットするとチームは確信したという。「コストパフォーマンスの点から見て、大成功を収めることは明らかでした」と同氏は話す。実際、SPARCは技術市場において急速に広まっていった。
パネラーのビル・ジョイ氏は、サンの共同設立者の1人で、アーキテクチャチームとソフトウェアチームの中心メンバーだった。同氏によると、SPARCアーキテクチャが必要だったのは、当時の命令セットでシンボリック・コンピューティングのサポートがなかったからだという。「将来のソフトウェアの方向性に沿ったハードウェア・プラットフォームが欲しいと思っていました」と同氏は話す。
パネラーのなかには、現在もSPARCプロセッサの設計やパフォーマンスに携わっている人物もいる。オラクルのハードウェア開発担当副社長、リック・ヘザリントンである。同氏がサンに入ったのは1996年で、サンのMillenniumプロセッサ・プロジェクトの共同アーキテクトとしてであった。
「Millenniumプロジェクトは、スーパースカラ・マシンのスレッド化の初期段階でした」と同氏は話す。SPARCの今後について聞かれた同氏はこう答えた。「コアが増え、スレッドが増えます。我々は今後もクロックの上昇を続けていきます」。
半導体市場調査会社インサイト64のネイサン・ブルックウッド氏は、1987年のSPARC発表の場にもいた人物だ。同氏は今回のイベントを報じるEE Times誌の記事のなかで、次のように述べている。「スコット・マクネリ氏が25年前の記者会見で、SPARCが業界に変革を起こすと語ったとき、その言葉を本気でとらえた人は、私も含めほとんどいませんでした。しかしその言葉は現実のものとなり、今もなお生き続けているのです」。